98457463120936

ロイター 2012年01月27日 6:00 pm JST
日英の政権交代、違いは基礎部分
投稿者 吉池威
http://blogs.jp.reuters.com/blog/2012/01/27/%E6%97%A5%E8%8B%B1%E3%81%AE%E6%94%BF%E6%A8%A9%E4%BA%A4%E4%BB%A3%E3%80%81%E9%81%95%E3%81%84%E3%81%AF%E5%9F%BA%E7%A4%8E%E9%83%A8%E5%88%86/
選挙による政権交代劇をこれまで3度見た。1度目と3度目は国内、2度目は海外である。
最初は1993年8月。宮澤内閣への不信任決議案が可決され、細川内閣が発足。これに先立ち、衆院議長に社会党土井たか子委員長(当時)が就任。議長席から深々と一礼した瞬間には、記者席からも拍手が沸き起こったのを記憶している。
日本新党の控室前で首班指名直前の細川護熙氏を待ち構えていると、見覚えのある若手議員が控室から出てきて、どこかに走り去った。新党さきがけに所属していた後の首相、鳩山由紀夫氏だ。
その次は日本でなく英国だ。1997年5月、英仏海峡トンネルの経営問題に関する取材で、たまたまロンドンに滞在していた際に「ニューレーバー」を掲げた労働党がブレアを擁し18年も続いたサッチャー・メージャーの保守党政権を破ったのを見た。地元テレビでは祝賀ムードに沸くフェスティバル・ホールの模様を朝まで中継していた。まさに歴史の節目という雰囲気だった。
3度目の2009年8月の総選挙は2大政党が争う英国型の選挙として注目された。安倍、福田と政権を途中で放り出すひ弱さから有権者に自公体制は嫌気され、その後リーマン・ショックのあおりもあって自民党に勝利し、衆院第一党となった。「マーケットは自公からの変化を求めていたので民主党に期待した」と岡三オンライン証券チーフストラテジストの伊藤嘉洋氏は当時を振り返る。
しかし、この選挙で民主党が掲げたマニフェストには実行できないものが多く、国民の期待は失望に変わっていった。2年半弱の民主党を中心とする政権ですでに3人目となった野田佳彦首相は、財政再建論議で消費税引き上げ路線が鮮明になるにつれ支持率を下げ、国内メディアの調査ではおおむね40%を割り込んでいる。
英国にはダグラス=ヒューム規則という政権移行をスムーズに行うために設けられたルールがある。野党議員と各省庁の幹部は原則的に接触できないことになっているが、この規則により下院の任期満了16か月前から、政権移行のための協議を行うことができる。日本ではそのような制度はなく、野党議員でもある程度自由に情報を得られるようになっているという。
にもかかわらず、野党時代の民主党は自前の政策にこだわり官僚に頼らないでマニフェストを作成し、2009年の総選挙に挑んだ。「脱・官僚」を党是とし政策で有権者を引き付けたかったのだろうが、それならなおさら官僚から事前に情報を得て、実行可能性などを見極めたうえでマニフェストを取りまとめられれば政権運営はここまで行き詰らなかったのではないか。
(写真/ロイター)ロイター