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この国と原発:第1部・翻弄される自治体 清水修二・福島大副学長の話
毎日新聞 2011年08月19日 東京朝刊
http://mainichi.jp/feature/20110311/news/20110819ddm010040005000c.html
http://mainichi.jp/feature/20110311/news/20110819ddm010040005000c2.html
http://mainichi.jp/feature/20110311/news/20110819ddm010040005000c3.html

(1)
交付金制度、廃止すべきだ

 原発が立地するのは、いずれも過疎地域だ。高度経済成長期に電力需要の増大を見込んだ国と、高度成長に取り残されたくない弱小自治体の切迫した思いが一致した形で、原発の建設は進んだ。

 自治体側は産業の集積や都市化が進むことを期待した。しかし、建設業を中心に一定の経済効果はあったものの、一過性のものでしかなかった。電力は送電線で遠くに運べるため、一般企業が原発近くに工場を設置するメリットは少ない。原発関連産業の多くは特殊な分野で、地元の中小企業が担うのは難しい。一方で、原発労働者の給料は地元企業の水準より高いため、労働力の多くは原発に吸収される。その結果、地域の産業構造は原発だけに依存したいびつなものとなってしまう。

 一方、電源3法交付金と固定資産税によって急に裕福になった自治体は、財政規律がどうしても緩みがちになる。当初、交付金の使途が「ハコモノ」やインフラに限定されていたのは、効果を目に見えるようにしたいと国が考えたからだろう。市町村の首長にとっても、実績を形に残せるから好都合だった。創意工夫が必要なソフト事業よりハード事業のほうが楽なのだ。そうして道路など公共施設に多額の支出がなされた。

(2)
しかし、交付金や固定資産税収が減っていく一方で、公共施設の維持管理コストは増大する。原発に新たな設備投資がなければ、収入を維持することができない構造だ。原発の増設を望む自治体があるのは、こうした理由からだ。

 原発の誘致による「発展」は、あたかもコマが外から力を加えられて回っているようなもので、コマは自力で回転しているわけではない。

 それでも中都市並みの所得と豊かな財政を得られる原発は、過疎地域の自治体には魅力的に映る。福島の事故後の統一地方選でも、原発立地自治体で推進派が多く当選する大勢に変化はなかった。

 電源3法交付金は都市に造れないものを過疎地に造るための「迷惑料」にほかならない。国の原子力委員会が定めた「原子炉立地審査指針」は、事故に備えて原子炉は人口希薄な地域に設置するよう義務づけている。仮に自治体が望むように、原発のおかげで周辺人口が増えて地域が都市化したとしたら、原子炉立地審査指針に反する事態になってしまうという決定的な矛盾がある。

 原発の存在には地域格差が前提なのだ。まるで貧しい人の前にごちそうを並べて手を出すのを待つような交付金の仕組みは、倫理的にも許されない。交付金制度は段階的に廃止すべきだと考える。

(3)
地域とは「人らしく生きられる場所」でなければならない。今回の惨事を目の当たりにしてもなお、原発に地域の未来を託せるのか。原発地方自治の問題として考え直す必要があると思う。

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 ■人物略歴
 ◇しみず・しゅうじ

 1948年生まれ。京都大大学院博士課程満期退学。福島大副学長。専門は地方財政論。電源3法と原発立地自治体の関係を長年研究してきた。著書に「原発になお地域の未来を託せるか」(自治体研究社)など。