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ロイターブログ
世界経済
TPPアメリカの本音と思惑(1〜4)
America's Asian Ambitions
国内の逆風をはねのけてでもTPPを推進したいオバマ政権。中国への「外圧」も視野に入れたその野心的戦略とは
2011年12月26日(月)15時07分
デービッド・ピリング(英フィナンシャル・タイムズ紙アジアエディター)、横田 孝(本誌編集長)
http://www.newsweekjapan.jp/stories/business/2011/12/tpp-2.php
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(1)
[2011年11月30日号掲載]
 意外かもしれないが、米政府が世界で最も熱心に推進している一方で、アメリカ国内ではTPPはまったくと言っていいほど話題に上っていない。
 アメリカを含む9カ国が既に「次世代」の通商協定に向けた大枠の合意に達しており、12年末までの最終合意成立を目指す──11月12日、バラク・オバマ大統領がホノルルでそう表明するまで、アメリカ人の大半は「TPP」という言葉すら聞いたことがなかった。
 国内的な知名度が皆無な一方で、この10年間対テロ戦争と中東情勢に目を奪われてアジアや中南米で出遅れた米政府は、いまさらながらこの地域に焦点を移している。アメリカ政府にとって、TPP(環太平洋経済連携協定)は失地回復のための足掛かりの1つだ。その戦略は、中国を「外圧」で変えようとする側面も見え隠れするほど、野心的だ。
 一方で、国力低下にあえぐアメリカがアジア市場に活路を求めている以上、交渉での立場は若干弱くなる。米政府は自国の要求をかつてのようにごり押しできるのか。そして、国内の反対や参加国との隔たりを乗り越えられるのか──。
 米政府がTPP計画に踏み出したのは09年12月。このとき、ロン・カーク通商代表が議会の指導者に書簡を送り、「これまで以上に雇用を重視し、アメリカの競争力を強化し、通商協定の恩恵がすべての国民に行き渡るようにする」と表明していた。
 それなのになぜ、これまでTPPはアメリカ国内で注目されてこなかったのか。
 1つには、交渉参加国が貿易高の小さな国ばかりだったからだ(日本が参加すれば事情は大きく変わる)。アメリカ以外の8カ国──ブルネイ、チリ、ニュージーランドシンガポール、オーストラリア、マレーシア、ペルー、ベトナム──を合わせても、アメリカの貿易高の5〜6%程度でしかない。
 これでは、議会や国民に対して、TPPでレベルの高い合意に達することがいかに重要かと納得させるのは難しい。もっとも、米政府としてはTPPを土台に、日本やカナダ、韓国、ブラジル、さらに将来的には中国などの主要貿易国も参加する大掛かりな通商協定を打ち立てたいと考えている。
WTO2・0」への道?
 アメリカでTPPの影が薄い理由のもう1つは、通商協定そのものが一般的に不人気だという点にある。労働組合や世論全般、そしてかなりの議員が通商協定に拒絶反応を示しやすい。
 ジョージ・W・ブッシュ前大統領時代にアメリカがコロンビア、パナマ、韓国とそれぞれ2国間で署名した3つの自由貿易協定(FTA)は最近になってようやく議会で批准された。自動車産業労働組合や議員の反発がそれだけ強かったのだ。
 オープンな通商協定を結べば双方の国に大きな経済的メリットがあると、ブッシュもビル・クリントン元大統領も国民に納得させようとした。相手国にアメリカ市場を開放し、それと引き換えにアメリカ企業のために相手国の市場を開放させる──そうすれば、輸入品の価格が安くなる上、輸出産業に雇用が創出される、という筋書きだった。
 そのもくろみは大きく外れた。問題は、近年アメリカの雇用状況が悪化していることだ。製造業を中心に、中流層の雇用が安定しない。特に08年のリーマン・ショック以降、失業率は10%近くまで上昇し、その後も9%台で高止まりしている。「上位1%」の高所得層がアメリカ全体の所得の4分の1を得るような社会になった。4分の1という数字は、25年前の約2倍だ。
(2)
ウォール街占拠デモ」を全米に拡大させた怒りの大きな要因は、グローバル化中流層を痛めつけているという認識だ。単純化すれば、自由貿易は大企業を潤わせ、中流層を苦しめるというイメージが定着している。こういう状況下でTPPを声高に訴えることは、政治家にとって得策でない。
 では、オバマはなぜ、猛烈な逆風の中で──しかも、再選を目指す大統領選を来年に控えたこの時期に──TPPを推進するのか。理由は複数ある。
 第1に、オバマ自身も述べているように、アジアは「動きがある場所」だからだ。ヨーロッパが経済危機に直面し、アメリカも景気が低迷し続ける恐れがある以上、アメリカ企業としては成長著しいアジア市場への参入を最大限拡大したい。
 アジア開発銀行(ADB)の黒田東彦(はるひこ)総裁によれば、アジア・太平洋地域の途上国の経済成長率は、今年も来年も共に7・5%に達する見通しだ。
 世界を見渡しても、アジアほど成長見通しが明るい地域はない。向こう5年間でアメリカの輸出を倍増させるというオバマの公約を達成しようと思えば、拡大するアジアの中流層の消費に大きく頼らざるを得ない。
 米政府がアジア市場をこじ開けることに熱心な理由は、ここにある。ただし、協定の内容を公平なものにし、しかもアメリカの雇用が破壊されるという印象を世論に与えないようにしなくてはならない。
 オバマは、韓国とのFTAを労働組合が支持していることを強調。平等な競争環境さえ整えば、アメリカの企業や労働者は十分に競争力を発揮できると、12日にハワイでの演説で述べた。
「誰もが共通のルールの下でプレーするシステムを築ければ、アメリカの企業と労働者は大きな成功を収める......ほかの国々が公正にプレーする限り、アメリカは市場を閉ざさない」
 アメリカがTPPを推進する第2の理由は、(第1の理由とも関係しているが)この10年間、アメリカがイラクアフガニスタンでの戦争に力を割かれるあまり、アジアで存在感を弱めてしまったという認識にある。
 安全保障の面でも経済の面でも、アジア重視の姿勢を再び強める必要があると、オバマ政権はようやく認識し始めた。ヒラリー・クリントン国務長官は外交専門誌フォーリン・ポリシーの11月号に「アメリカの太平洋の世紀」と題した論文を寄稿し、政権の方針を詳しく説明した。
 シーレーン海上交通路)の確保、領土紛争の仲裁、海賊行為やテロなど「非通常型」の脅威との戦いなど、オバマ政権は安全保障の側面に強い関心を寄せているが、この論文では経済的な側面も強調している。
「アジア市場が開かれれば、投資、貿易、さらに最先端技術へのアクセスといった面で、アメリカにとってかつてないチャンスが開ける」と、クリントンは書いている。「アメリカの景気回復は、輸出の堅調さと、アジアの巨大な消費者基盤の拡大をアメリカ企業が生かせるかどうかに懸かっている」
 おそらく中国を念頭に、クリントンは「開放性と自由と透明性と公正さ」を備えた仕組みの重要性を指摘。また、この地域で領土紛争の当事国になっておらず、過去60年にわたり地域の安定に尽くしてきた唯一の大国として、アメリカが大きな役割を果たせると主張している。
 TPPは、オバマ政権のアジア戦略の経済面と安全保障面が交差する政策テーマだ。アメリカは通常の通商協定で満足せず、もっと広範なルールを作ろうとしているように見える。「WTO世界貿易機関)2・0」とでも呼ぶべき本格的な仕組みを目指しているのかもしれない。
 ADBのイワン・アジズ地域経済統合室長は、TPPは「国境の向こう側」の問題を正す「A級」の合意だと言う。
 例えばTPPには、環境や労働規制の調整、知的財産の保護、政府調達方法の共通化など、外国企業の待遇を平等に確保するルールが盛り込まれる。一方で国有企業は低コストで資金調達ができたり、市場が保護されている場合が多いから、そこにもルールが設けられるはずだ。
(3)
日本参加で重要度アップ
 だが成功するまでには数々の障害がある。まず、中国だ。「中国が参加しないならどんな合意もそれほど意味がない」と、ADBのアジズは言う。しかし中国の一部専門家は、TPPは中国をアジア貿易から締め出し、アメリカを利する試みだとして警戒してきた。
 確かに中国には国有企業が多く、法制度は脆弱で知的財産の保護も不十分だ。従ってTPPのような「レベルの高い」貿易協定に参加するのは時期尚早だ──そんな主張が出てきてもおかしくない(とはいえ、それなら社会主義市場経済を取り入れたベトナムが「勧誘」されたのはおかしいと、矛盾を指摘する声もある)。
 これに対して、TPPの目的はむしろ中国を取り込み、変革を促すことだという真逆の見方もある。TPPは「レベルの高い」貿易や経済慣行の枠組みに中国をおびき寄せるための仕掛けだというのだ。
 両方の側面があると言うのは、アメリカの保守系シンクタンクヘリテージ財団に所属するデレク・シザーズ。TPPには「中国をつぶせ」と「中国を変えよう」という2つの要素が混在しているという。1つ目は中国を排除すること、2つ目は中国にビジネス慣行を変えさせることだ。
 興味深いことに、中国の胡錦濤(フー・チンタオ)国家主席はTPP構想に明確な関心は示していないものの、公然と切り捨ててもいない。APEC(アジア太平洋経済協力会議)首脳会議で訪れたハワイでも財界首脳らに対し、「中国は東アジア自由貿易圏やアジアでの全面的な経済協力、TPPを基盤にしたアジア太平洋経済の地域統合という目標を支持している」と語っている。
 TPP締結の障害になりそうなのは、もちろん中国だけではない。参加対象となる国は文化的背景も経済発展の度合いも大きく異なる。何しろ共産主義の貧困国(ベトナム)からリッチな都市国家シンガポール)、それに世界最大の経済大国(アメリカ)までいるのだ。
 これでは共通ルールを作るなんて不可能だと思われても仕方がない。ホノルルで大枠合意を発表したオバマの声明がひどく具体性を欠いていたのもそのためだ。
 例えば製薬会社の知的財産保護については、交渉国の間で大きな意見の隔たりがある。アメリカの製薬業界は保護強化を求めてロビー活動を展開してきた。だがより貧しい国々は、安価で薬が作れなければ国民の命が脅かされると懸念している。
 国有企業の活動規制も一筋縄ではいかない。ベトナムやマレーシアなど一部の交渉国では、国有企業が幅を利かせている。市場自由主義の牙城であるアメリカでさえ、08年のリーマン・ショック後は自動車や金融業界で政府の関与を増やした。公共事業で国産品の購入を義務付けたバイ・アメリカン条項も、TPPに引っ掛かる恐れがある。
 TPPには、こんなパラドックスがある。普通に交渉が進めば、各国ともいくつかの分野で貿易自由化の例外扱いを求めるだろう。これを認めれば最終的な合意は骨抜きになってしまう。逆に「レベルの高い」合意にこだわれば、一部の国が脱落してしまい、やはりTPPの効果を薄めることになる。
 注目は日本の動きだろう。アメリカは日本がTPPへの参加に関心を示したことを、公式に歓迎している。当然かもしれない。現在の9カ国は寄せ集めのようなもの。世界第3位の経済規模を持つ日本が参加すれば、TPPの信頼性も重要性もさらに高まる。
 日本国内では、アメリカが荒々しく踏み込んできて一方的に自らの要求を押し付けるのではないかと、大きな不安の声が上がっている。こうした懸念の一部は、80年代と90年代の苦い経験に起因する。当時深刻化した貿易不均衡を是正するため、日本はアメリカが突き付けた内需拡大・市場開放の要求を一方的にのまされた経緯がある。
 だがTPPは多国間交渉であり、交渉国が強気の態度に出やすい2国間交渉とは本質的に違う。アメリカはAPECなど公の場で強い意気込みを示しているだけに、合意実現のためには一定の譲歩を余儀なくされるだろう。交渉が決裂すれば、メンツがつぶれるだけでなく国際的な信用まで失ってしまうからだ。
(4)
「特別扱いは認めない」
 アメリカには国内産業界からの突き上げもある。ようやく太平洋地域に外交の焦点をシフトしたものの、気が付けばアメリカはアジア諸国とのFTA締結で後れを取っていた。
「その結果、米企業は低関税やゼロ関税の適用を受けられず、アジア貿易でますます不利な立場に置かれている」と言うのは、米国務省とUSTR(米通商代表部)の元アジア専門家ブライアン・クラインだ。「1つの商品がさまざまな製造工程を経るなかで、(関税率が)1%違うだけでも価格競争力に大きな影響を与える」
「交渉に譲歩は付き物だ」と、クラインは続ける。「この種の交渉で柔軟に対応しやすい領域は、国内法の実施時期や関税率の引き下げ時期だろう」
 しかし「レベルの高い」協定ではその柔軟性にも限界がある。米政府としては、既存のFTA(例えばシンガポールとのFTA)よりも条件を緩和することは難しいだろう。
 実際、米政府のTPP推進派の間では、日本が参加すれば交渉の進捗が遅れ、TPPの最終的な効果が薄まると懸念する声がある。例えば日本が農業などの領域で例外扱いを求めれば、他の交渉国からも同様の扱いを求める声が噴出する。
 こうした懸念についてトム・ドノヒュー米商工会議所(USCC)会頭は「この交渉にお子様用のテーブルはない」として、特別扱いを認めるべきでないと主張している。それが嫌なら日本をTPP交渉から完全に外したほうがましだと、アメリカのTPP推進派は思うはずだ。
 そうなれば、日本は中国と同じように、事の成り行きを指をくわえて見ているしかない。ロイターブログ